創立記念式典

 ただ今、創立記念日である11月12日に先だち、創立113周年を記念する法要を営みました。

 文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の時代に、当時は江戸神田台にあった曹洞宗吉祥寺の山内に、後に「旃檀林」と呼ばれるようになった学寮が誕生しました。それが、世田谷学園の前身です。吉祥寺は、明暦3年(1657年)、いわゆる明暦の大火で焼失し、その後、幕府の江戸再開発によって本郷駒込に移転していますが、山門には現在も「旃檀林」と書かれた額が掲げられています。ちなみに神田台当時、吉祥寺の門前町に住んでいた人々は、大火のあと武蔵野に移り住むようになりました。これが現在、武蔵野市にある吉祥寺という街のおこりだということです。

 旃檀林は、江戸時代、昌平坂学問所(昌平黌)とも並び称される学寮だったと伝えられていますが、明治に入っていくつかの変遷を経たのち、明治35年(1902年)に私立学校令に準拠した「曹洞宗第一中学林」として、あらたなスタートを切ることになりました。学園ではこの年を創立の年としています。大正2年(1913年)には駒込の吉祥寺山内からこの三宿の地に移転をしてきましたが、その移転開校式が行われたのが11月12日です。さらに、大正13年(1924年)には校名を「世田谷中学」と改称し、このときに11月12日を創立記念日と定めています。
 昭和に入ると戦後の学制改革にともない、新制の「世田谷中学校高等学校」となりましたが、昭和58年(1983年)、私学であることをより明確にするために、「世田谷学園中学校高等学校」と校名変更し、現在に至っています。

 そして、このたび、1年3ヶ月に及ぶ修道館・放光館のリニューアル工事がようやく終わりました。このアリーナも、エアコンが設置され、放送室は後方から前方へと移動しました。ライトはLEDとなって、以前より明るくなっています。そしてもう一つ、同窓会のご寄贈により、このステージの緞帳が一新されました。以前と違って巻き上げ式となりましたが、何よりもそのデザインが今までの緞帳のイメージとは大きく異なるものとなっています。今日は、このデザインの意味を話しておきたいと思いますので、一度、緞帳を下げてもらいます。(創立記念式典のお話から)

 デザイナーの方により、宇宙の宙の字を書いて「宙(おおぞら)」というタイトルがつけられたこのデザインには、学園の目指す姿が、文字通り、宇宙から臨むかのような壮大なイメージで描かれています。
 中央には、教育理念である“Think&Share”の文字があります。言うまでもなく、“Think”は「人は一人一人がかけがえのない尊い存在であり、誰もがりっぱな人間になることのできる力を持っている」という仏教・禅の人間観を表しており、そのモットーが「明日をみつめて、今をひたすらに」ということです。一方、“Share”は「人は固有の価値観や文化を持っており、それをお互いが理解し認め合うことで平和な地球社会の創造が可能となる」という仏教・禅の社会観・世界観を表しており、「違いを認め合って、思いやりの心を」とはそのモットーです。
 “Think&Share”の後には坐禅の姿を象徴する三角形、その下には地球のシルエットを表す悠々とした円弧が描かれています。校章の中にもある、コミュニケーション・シンボルと呼ばれるデザインを、より大きくダイナミックに構成したものですが、三角形と円弧の境目あたりからは光が発せられて、それが左右に広がっています。これは、君たち一人ひとりの夢の広がり、あきらめない強い思いを象徴しています。
 最後に、大きく弧を描くグラデーションのついた3本の光る白いラインです。ひときわ目を引くこれらのラインは、学園が君たちの未来に描く人間像、すなわち、「自立心にあふれ、知性をたかめていく人」、「喜びを、多くの人とわかちあえる人」、「地球的視野に立って、積極的に行動する人」、簡潔に言えば、「賢く、豊かで、たくましい人」へと、君たちが自信と誇りと気概とをもって、日々学び、成長していく姿を表しています。すなわち、世田谷健児の姿、旃檀林の獅子児の姿を象徴しています。

 これからも、朝礼や儀式の始まる前や終わった後に、君たちはこの緞帳を幾度となく目にします。そのたびに、“Think&Share”の理念のもと、世田谷健児として、旃檀林の獅子児として、自らをたくましく成長させていく、その思いを強くしてほしいと願っています。(創立記念式典のお話から)