平成27年4月

 昨日、入学式を行いましたが、本日、始業式を迎え、いよいよ全学年が揃っての平成27年度がスタートします。
 2年生以上の諸君には改めてということになりますが、始業式に当たり、君たちに確認をしておきたいことがあります。それは、君たちが校門でしている礼の意味についてです。

 「校門での礼」には、4つの意味があります。
1つ目は、もちろん出入の挨拶です。校門には守衛さん、週番の先生や生徒も立っています。校門で礼をするのはもちろんですが、その前あるいは後で、朝は「おはようございます」、帰るときには「さようなら」と、集団の中に埋もれず、一人ひとりが主人公として、しっかりと声を出して挨拶をしてください。挨拶はお互いの魂を開く鍵です。そこから尊重し合う心も生まれます。
2つ目は、学園の歴史と伝統に対する敬意です。今朝、校門の白線に立ったときに気づいたと思いますが、正面に見えるブリッジに、春期休暇中に校章と教育理念である“Think&Share”の文字を掲げました。白線で足を止めたとき、真正面にこれらを見据えてもらうためです。校章には学園の歴史と伝統が込められています。
この演台にも校章がありますが、校章の右側の模様は、大本山永平寺の紋である久我竜胆、左側は、大本山總持寺の紋である五七の桐をデザインしたもので、この部分は、ずっと変わりがありません。私が生徒の頃は、その中に「中」とか「高」の文字が入っていましたが、1991年の創立90周年以来、三角と円弧の形が入っています。三角は君たちが坐禅をしている姿、智と徳を修め学び、身と魂を鍛え磨く姿を表し、円弧は地球という君たちがやがて活躍する舞台を表しています。
3つ目は、校舎に対する感謝です。発心館、観性館、修道館、放光館、校庭も含めて、これらは君たちが学業やクラブ活動などを通じて、自らの内にあるかけがえのない価値を光り輝かせるための大切な道場です。その道場に対する感謝です。
4つ目は、校内各所の仏像に対する敬虔の念です。仏像は単なる偶像ではなく、内にもつかけがえのない尊い価値を明らかにした歴史上の実在した人物です。その方々に対して敬虔の念をもつということです。
 同時に、その方々と同様、私たち一人一人もかけがえのない尊い存在です。りっぱな人間になることのできる力をもっています。だから、自分自身の内にあるかけがえのない価値、いのちの尊厳と可能性に対しても敬虔の念をもってほしいと思います。校章の中にある三角は、君たち一人一人を表しています。その一人一人にかけがえない価値があります。それを光り輝かせるための理念が“Think&Share”です。だから、校章と教育理念を見据えて礼をするのは、自分自身の尊厳性と可能性に対して礼をするためでもあります。

 以上が、「校門での礼」の意味です。したがって、何気なく頭をさげるのではなく、「心」をこめて礼をしなければなりません。足を止めずに歩きながら、ポケットに手をつっこみながら、友だちとおしゃべりをしながらでは、「心」がこもりません。「心」をこめるには、まず、礼の「形」を調えることです。
一で、白線のところで足をとめて、正面の校章と教育理念を見る。
二で、頭を下げる。会釈ではないので、首ではなく、腰でお辞儀をする。45°以上を意識してください。
三で、頭を下げている自分を見る。礼をすれば、自分の身体の脚下が見えますが、同時に心の脚下を見つめて、自分には「かけがえのない価値」があるんだ、だからこの伝統ある道場で、「今日一日精いっぱい過ごすんだ」という心構えを磨き直す。
四で、ゆっくり頭を上げて、もう一度、正面の校章と教育理念を見る。
五で、歩き出す。

 帰るときには、振り返って同じように一礼をして、「ありがとうございました」という気持ちとともに「今日一日精いっぱい過ごしたか」と振り返る。

 君たちは、誰も見ていなくても校門で礼をしています。それほど習慣になっています。素晴らしいことだと思います。さらに、意味をよく理解して、礼の「形」に磨きをかけ、その「心」を究めてください。(始業式でのお話から)